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2023年の行事報告



■12
10()  牧野記念庭園から「ちひろ美術館」約10km
が行なわれました。紺碧の秋空のもと風もなく穏やかなウォーキング日和でした。西武鉄道池袋線・大泉学園駅に18人が集まり、1人がおっかけ参加の合計19人で、今年最高の人数です。

最初は「練馬区立牧野記念庭園」に向かいました。この記念館は201081日にリニューアルオープンされました。常設展示室には、牧野博士が植物採集や研究のため愛用した道具や、日用品、直筆の執筆原稿、植物に関する書物から博士が採集した植物標本まで、博士の植物学の研究に取り組む姿勢を伝える貴重な資料を展示していました。

続いて「石神井公園・三宝字池」(国指定文化財:三宝寺池沼沢植物群落)を訪れました。広大な池の対岸の紅葉群が見事でした。「昭和記念公園のようだね」という感想も漏れていました。現在は「石神井公園三宝寺池沼沢植物群落復元事業」により、ヨシやハンノキなどの伐採による植物相の復元や水質を浄化する取り組みをしていて、掻い掘り中の池もありました。

石神井公園を出てから二つのグループに分かれました。

ひとつは「ちひろ美術館・東京」を30分ほどゆっくりと閲覧し、そのまま荻窪駅近くの忘年会場(嘉楽飯店)に路線バスで直行するグループです。
もう一つのグループは「東京工芸大学・杉並アニメーションミュージアム」を見学し、忘年会場に直行するグループです。

「ちひろ美術館」グループは13人。「ちひろ美術館」は、いわさきちひろの自宅兼アトリエ跡に建ち、世界で最初の絵本美術館として、ちひろをはじめ、世界の絵本画家の作品を紹介。忠実に復元されたアトリエを参加者が興味深く見入っていました。左利きだったちひろの画机には、北側から外光が入るように設計されていました。

「東京工芸大学」のグループは6人。先ずは「上井草スポーツセンター」に立ち寄りました。歩くスピードは快調で青空の下気持ちの良いウォーキングです。
石神井公園から「東京工芸大学・杉並アニメーションミュージアム」までは1時間近く歩く事になるので、こちらで休憩をさせて頂きました。

「東京工芸大学・杉並アニメーションミュージアム」は日本発の映像文化として世界で高く評価されているアニメをプロダクションや作家の域を超えて博物館として商業アニメに限らず、多くの作品やキャラクターが紹介されている日本唯一の常設展示施設です。
館内にはアニメシアターがあったり、子供達がパソコンでアニメを描いていたりアニメ好きなら一日いても楽しめる場所だと思いました。

忘年会には18人が参加し、「飲み放題・食べ放題」で飲食を満喫しながら歓談しました。ビンゴゲームを行ない盛り上がりました。このゲームが初めての参加者に、対面の人が丁寧に教えている場面もありました。3時間の忘年会のあと来年のウォーキング行事の成功を祈念して解散しました。(運営委員会)

■12月3日(日)  国分寺の歴史・文化の探訪とハケ(国分寺崖線)の湧き水散歩  約9km
天平宝字年間(757-65)頃からの武蔵国分寺の永い存亡の歴史、湧き水に支えられた紅葉と緑の庭園、雑木林群に囲まれた心温まるウォーキングコースでした。真っ青な秋空の晴天に恵まれ風もなく心地よい一日を過ごしました。

中央線・ 国分寺駅(北口改札口)に13人が集合。まずJR中央線沿いの「恋ヶ窪東遺跡柄鏡形敷石住居跡」を見た後、東京の名湧水57選No.35の「姿見の池」を眺めました。姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み清水を湛えていましたが、昭和の半ばころから池は埋め立てられていました。平成14年から武蔵野線トンネル内の地下水導水をポンプアップ誘導し、水をたたえた池に復活しました。⇒参考文献

JR中央線をまたぎ、武蔵国分寺の史跡をめぐりました。
「東山道武蔵路跡(とうさんどうむさしみちあと)」「国分寺薬師堂」「国指定史跡武蔵国分寺跡」「お鷹の道・真姿の池湧水群(環境省選定名水百選・都名湧水)」です。

東山道は古代の都と各国府を結ぶ古代交通路である七道の1つで、武蔵路は武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)で、古代道路跡として学術上価値が高いものです。
奈良時代の中頃の天平13年(741年)、政治の混乱や社会不安の続く国内を仏の力で国を安定させるために、聖武天皇は諸国に国分寺の建立を命じました。国指定史跡武蔵国分寺跡はその一つです。

つづいて、「お鷹の道 遊歩道」を歩き「不動橋・石橋供養塔」を訪れ、国分寺崖線の自然の地形を生かした回遊式庭園「都立殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)」を訪れました。銀杏の落葉と紅葉が美しい庭園でした。

都立殿ヶ谷戸庭園は最終的には岩崎別邸でしたが再開発の動きが起きました。これに対して「殿ヶ谷戸公園を守る会」が発足され、1972年に都議会と国分寺市議会に保存を要望する請願書を提出しました。同年12月に革新都政であった都議会で、美濃部亮吉知事は「出来る限り公共的に保存し、都民の公園として開放できるよう、地元区市町村ともども努力していきたい」旨答弁、これで空気が一変し、1973年に都の全面買収の方針が決まり都立公園として存続することになりました。

このような運動のおかげで、私たちは今、自然を満喫するウォーキングが出来ています。現在、神宮外苑の再開発の是非が論議されていますが、参考になる歴史ですね。
ここで一次解散です。「また来週ね!」と言ってお一人が帰られました。

延長コースに入りました。崖線の坂をくだり「もみじ橋遊歩道」に出て「貫井神社」に詣でました。黄金に輝くいちょうの大木、優雅に乱舞する錦鯉が印象的でした。

再び国分寺崖線の急な坂道を登り、深山の趣そのままの庭園「滄浪泉園(そうろうせんえん)」で、また銀杏の落ち葉遊歩道と秋の太陽に輝く紅葉を堪能しました。
JR武蔵小金井駅でゴールです。(運営委員会

■11月26日(日) 多摩湖から緑の東大和市を歩く
 約8~12km

西武多摩湖駅~狭山公園~多摩湖通り~八幡神社~郷土博物館(昼食)~蔵敷高札場~狭山三十三観音霊場19番・林堂(はやしどう)~蓮華寺~上北台駅~玉川上水駅

一般参加者2名、神奈川ウォーキングクラブ1名、クラブ員7名合計10名。
クラブ以外の参加者の紹介、準備体操、リーダーよりのコース説明を終え出発。

西武球場へ向かう山口線へ行く人がいなくなると閑散とした駅で改札口のトラブルも呼出しで対応とコンビニも何もない駅であった。

曇り空のこれまでにない寒さを感じる中、歩き始める。
狭山公園に入り緩やかな坂道登り組と階段組みに分かれ多摩湖堤防へ出る。
整備された狭山公園の木々、湖畔の木々の紅葉がきれいだった。

東京都民の水がめとして作られた多摩湖。新東京百景・東やまと20景として東大和市のシンボルとなっている。
トイレ休憩後、多摩湖通りを歩く。
自転車・歩行者用として歩きやすい。
湖畔道として雑木林がもっと手入され湖が見えたなら最高と思いながら歩く。
通りを離れ八幡神社へ立寄る。
七五三参りの可愛い子どもに癒される一時。
無垢な子どもには叶わない。

郷土博物館でトイレ借用。館内の暖かさにホッと一息。
狭山緑地で食事できる場所を聞くが要領得ず。
結局館前のプラネタリウム入口の階段で昼食を取る。

蔵敷高札場も新しく建てたらしく高札場感無し。隣に立つ石碑がなかったら解らないだろう。

街道から離れ、狭山三十三観音霊場19番札所林堂(はやしどう)へ。普通の民家にしか見えないひっそりとした霊場であった。
その後、立派な老人ホームに見とれ?蓮華寺へ。
多摩湖(貯水池)の建設により湖底に沈みこの地に移転してきたそうだ。

大通りに出ると第一解散場所の上北台駅が見えてきた。残念ながらここで帰る人無。

野菜直売ロッカーでそれぞれ野菜ゲット。
最終解散場所の玉川上水駅に無事到着。参加者全員完歩。ばんざい\(^o^)/
                         (運営委員会)
■11月11日(土) 茗荷谷駅からシビックセンターへ 約6~10km

「寒風」ともいえるすさまじい強風が吹きすさむなか、東京メトロ丸ノ内」・ 茗荷谷駅(1番出口)に14名があつまりました。みんな肩をすぼめたり風の吹かないコーナーに入ったりして凌いでいました。

最初は銅御殿(旧磯野家住宅)を訪れました。中には入れないので、周りからしげしげと眺めたり、塀から覗き込んだりしていました。ここは国指定重要文化財で、実業家の磯野敬が建設した近代和風住宅であり、主屋の屋根と外壁に銅板が張り巡らされている外観から「銅御殿(あかがねごてん)」と呼ばれています。

石川啄木顕彰室を訪れました。1911年、本郷の喜之床からこの地に移った石川啄木は、翌年、肺結核により26歳でこの世を去るまで暮らしました。表には「終焉の地 歌碑」もあり、歌碑には啄木が最後に創った二首を直筆で再現。顕彰室は、4・5人が入れる狭い施設ですが、直筆原稿の複製もあり、参加者は熱心に読み取っていました。
播磨坂を訪れました。第二次大戦後の区画整理でできた「環状3号線」の一部として整備され、この地にあった松平播磨守の上屋敷にちなみ、播磨坂と名付けられました。桜の木約120本が植えられており、シーズンには見事な桜並木になります。

現在は国際仏教学大学院大学になっている、徳川慶喜終焉の地を外から眺めました。門の格子の隙間から慶喜邸時代からの大銀杏を眺め、スマホのレンズの向きを様々に変えたりして写真撮影に苦慮している人もいました。

小石川「伝通院(傳通院、でんづういん)」 徳川家ゆかりの歴史ある名刹の正門が見えてきました。徳川家康の生母・於大の方や徳川家ゆかりの方々が眠り、手厚い庇護を受けたという由緒ある寺院です。

源覚寺(蒟蒻閻魔)宝暦(175164)の頃、老婆の眼病を閻魔大王が自身の右目を与えて治し、老婆は感謝して好物の「こんにゃく」を断ち、供え続けたとされています。以来、「こんにゃくえんま」と呼ばれ信仰を集めています。境内には歯痛緩和の「塩地蔵」も安置されていました。本当に塩だけで出来ていました。

文京シビックセンターの25階、地上約105mの高さの展望ラウンジに登りました。同センターは音楽イベントにも使われるホールや区民施設、区役所などの公共機関からなる総合施設です。晴れていれば、富士山、秩父連峰、筑波山が望めますが、曇天のため残念ながら叶いませんでした。でも330度の大パノラマにはみなさん、感動していました。

講道館を訪れました。正面の加納治五郎の銅像を眺めたあと、幸い中に入れて国際大会も行われている4面の試合会場を観客席から眺めました。「国際会場にしては、おもったより席がすくないね」と感想をもらす参加者もいました。

清和公園で昼食をとりました。可愛いドレスを着た女の子2人が男の子とともに、はしゃぎまわっていました。とても素敵な場面でした。おとうさんに「踊りの会の帰りですか?」と尋ねると「いやあー 綺麗な着物を着たい齢なのですよ」と笑いながら答えてくれました。黙々と昼食を食べている一同にとって、何よりのホットした風景だったと推測しました。

文京ふるさと歴史館を訪れました。同館は平成3年(1991年)4月開館。文京区は弥生土器命名の地として知られるとおり、古くから豊かな歴史をもっています。正面の映像解説はその弥生時代から現代至るまでの歴史を描いており、なかなか見応えがあるものでした。脚が疲れた参加者の一人は展示室を回らず終わりまで観ていました。展示物のほかに様々な催しものも企画しており、良くできた施設でした。

東京メトロ大江戸線本郷三丁目駅で一次解散です。(6km)ここで数人が帰りました。

延長コースは湯島の麟祥院から始まりました。ここは1624年、春日局の願により三代将軍・家光の命で殿堂を造立。「報恩山天澤寺」と称し、後に「天澤山麟祥院」と改号。春日局の墓石の四方と台石には穴があり、「願いが通る」と江戸時代より人々に参詣されました。

ひきつづき湯島天満宮を訪れました。「第45回湯島天神菊まつり」が開催されていました。(111日・水~1122日・水)。本年の菊人形はNHK大河ドラマ「どうする家康」の場面から三体。また、大作りと呼ばれる千輪咲、大懸崖、盆庭、を中心に古典菊の「江戸菊」「巴錦」等の菊花、約2千株を境内に展示し、盛大に行われていました。小学生の部もあり、きちんと咲いたものもあれば、まだつぼみのものもありました。実に微笑ましい風景でした。

その後、甘味処に寄りました。ちょうど席もあいており、名店の甘みに舌鼓を打ちました。

JR御徒町駅で二次解散です。(10km)        (運営委員会)

1014() 日本水準原点を訪ねる 約9km

東京メトロ半蔵門駅(4番出口)→国民公園・皇居外苑半蔵門園地→駐日英国大使館前→平河天満宮→日本水準原点→国会議事堂前→高橋是清公園→乃木公園・旧乃木邸→有栖川宮記念公園→東京メトロ(日比谷線)・広尾駅へと歩きました。参加者は8人です。
まず、「皇居外苑半蔵門園地」を訪れ準備体操をしました。この園地は、環境省のWeb情報によると「半蔵門園地は、平成27年8月に英国大使館から日本国に返還された場所を活用して、環境省が整備を進めてきたもの」であり、「令和5年3月15日(水)『国民公園皇居外苑半蔵門園地』として開園し、一般開放します」とありました。つい最近のことなのですね。
つづいて、駐日英国大使館門前に到着し、その広大さに驚きながら、門に架かっているエンブレムについてしばし雑談がでました。
内堀通りを南下し半蔵門交差点で左折して、半蔵門通りを南下し「平河天満宮」到着しました。ここでは「天満宮に牛の像があるのはなぜ?」という質問がでました。天満宮の祭神である大宰府に左遷された菅原道真が「丑年」に生まれたからを始め7つくらいの牛に関わるエピソードから「撫で牛」としてまつられているとのこと。
日本における高さを決めるための基準となる「日本水準原点」を訪れました。説明によると「測量法施行令により東京都千代田区永田町一丁目一番二地内水準点標石の水晶板の零分画線の中点(東京湾の平均海面を0mとして定義)と定められている」とのこと。ただし測量のたびに、平均海面を求めることは効率的ではありません。そこで、地上に固定するため「日本水準原点」が、1891年(明治24)にかつての陸地測量部内、原点数値は24.500mとして、ここ東京三宅坂に造られました。
ただし、1923年(大正12年)の関東大震災で24.414mに、測量法施行令制定により24.4140mに、そして平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震で24.3900mに改定されました。
「国会議事堂前」から山王下交差点を右折し、外堀通り(405号線)を通って赤坂見付交差点を左折し、青山通り(246号線)へと歩み、豊川稲荷を右手に見て、「高橋是清翁記念公園」に到着しました。
高橋是清は、「立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣。(さまざまな経過はあるが、)軍事予算を抑制しようとしたことが軍部の恨みを買い、二・二六事件で暗殺されたことでも知られる。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
樹木の多い公園です。ここで昼食を摂りました。木陰のベンチはそうでもなかったのですが、秋の太陽を浴びるベンチでは、膝に暑さを感じました。
青山通(246号線)を「赤坂郵便局前」で左折(南下)し外苑東通り(都道319号線)を下り、乃木坂との交点にある「乃木公園・旧乃木邸」に寄りました。
乃木夫妻が明治天皇大葬の日に自刃した邸宅が残っていました。この邸宅は乃木大将がドイツ留学中に見たフランス連隊本部を参考にして、自らの設計により明治35 (1902)に新築されたものです。明治期の将官の邸宅は豪華な建物が多かったのに比べ、旧乃木邸の外観は黒塗りの板張りで飾り気がなく、内部も極めて簡素かつ合理的に造られており、明治期の和洋折衷建築としても貴重なものとなっています。そのためか参加者から「結構質素だなあ」という声がもれました。「乃木神社」「馬小屋」も隣接してありました。
檜木公園を横目に見て、東京メトロ・六本木駅を過ぎて木下坂と南部坂の交点にある「有栖川宮記念公園」へ到着しました。江戸時代は南部藩の下屋敷でしたが、明治291896)年に有栖川宮家の御用地となり、その後記念公園として一般解放されました。
有栖川宮記念公園は、園内は起伏に富み、東側の高台から西南側の低地に向けて大きく傾斜した地形で豊かな樹木や池や渓流がありました。自然を感じられる公園で、ここを二手に分かれて散策しました。ウォークで疲れた体と、こころを癒してくれました。
ここでゴールになりました。近接の喫茶店でお茶をして今後のコースなどについての打合せもしました。日比谷線広尾駅からそれぞれの方向に帰路につきました。 (運営委員会)

916日(土) 中野の公園に木陰を求めて 9㎞
大江戸線・新江古田駅集合。リーダの合図で出発。江古田公園入口から『江古田の森公園』に入園、先ずストレッチで身体をほぐす。ランニング客が通り過ぎていく。
  ここは昔自然豊かな土地であったことから国立結核病棟がつくられ、撤退した現在でも沢山の病院や施設が今も残っています。アメリカに桜の木を送り、返礼に戴いたハナミズキが健在で季節には綺麗な花が咲きます。介護施設の間を縫って川を渡り練馬区へ。そこには『徳田教会』があります。病院から退院・退去を指示されても毛嫌いされていた結核患者は行くところがありません。そこで牧師が施設を作り迎え入れた、それがベタニアの家であり修道女や教会の始まりとのこと、一礼。
 昔の『野方配水塔』が残されている『みずのとう公園』で一服。東洋大学開祖で哲学堂を作った『井上円了のお墓がある蓮華寺』を参拝、道一つ隔てた『哲学堂』へ。弓道場の横、そしてテニスコートと野球場の間をぬけ建築物(絶対城・宇宙館・哲理門・四聖堂・六賢台)のある広場で昼食をとる。
 坂道を下り妙正寺川を渡り哲学の庭に。第一の輪・宗教(老子・キリスト・釈迦・アブラハム・エクナトン)。第二の輪・悟りの実践(達磨大師・聖フランシス・ガンジー)。第三の輪・法(聖徳太師・ユスチニアヌス・ハムラビ)。とにかく哲学・哲学で一杯の公園です。
 ここから地下化工事中の新井薬師前駅を過ぎ、童謡『たきびの歌』発祥の地で童心に返り『新井薬師寺』へ向かう、参拝。五差路から『平和の森公園』へ急ぐ。中野区総合体育館でしばしの休憩、同じ敷地内の『赤レンガ造りの旧刑務所門』を工事用塀の間から見学、何とか保存されるよう祈る。同様に刑務所で製作した製品を展示販売している『中野CAPICWO』を覗く。昔は木工品が多かったと記憶していたが、布・革・焼き物・日用品など多種多様に渡って見応えがあり。
最後は『四季の森公園』へ。ここで解散。三々五々現在の区役所横に設置されている『犬のお囲い』のモニュメント『おいぬ様像』を確認、帰路に。一部の方々は四季の森公園広場で一寸一杯して帰路に着かれました。この広場は、元軍逓信隊や『中野スパイ学校』等の軍事施設があり、その後警察大学校になり、これが移転されて現在に至ります。(S記)

93() 自由が丘駅から等々力渓谷へ

「自由が丘駅から等々力渓谷へ」のウォーキングが行われました。10名の参加です。数年ぶりに参加してくれた方もおり、話が弾んでいました。

スタートの東急東横線・大井町線 自由が丘駅前は「自由が丘一丁目29番地区第一種市街地再開発事業」が行われおり、地上14階・地下3階、高さ約60mの複合施設が整備される計画で、23年度工事着手、25年度竣工を予定しているとのこと。駅右側は工事用の高い壁でおおわれており、かつて訪れたことのある会員は、その変わりようにビックリ。

まず、九品仏川を暗渠化して造られた「九品仏川緑道」を歩き、九品仏の名で親しまれている「九品山唯在念佛院浄真寺」に到着、浄土宗に属する寺院です。東門から入ると立派な山門(仁王門)、が待ち構えていました。本堂である龍護殿を右手に見て西側に進むと、阿弥陀堂3棟(下品堂、上品堂、中品堂)がならんでいます。九品仏といわれる由来は、この3棟に3体安置されていることからきています。

浄真寺を出て、東急大井町線に平行な等々力通りを歩き、尾山台駅をやり過ごし、目黒通りの高架下をくぐり、等々力駅に着きました。ここで駅構内の踏切を北口から南口へと横切り、等々力渓谷入り口へと歩みました。

等々力渓谷は武蔵野台地の南端に位置しており、この地面を侵食して形成された開析谷です。渓谷沿いには武蔵野台地を特徴づける地層断面がよく観察できる箇所があります。清らかな水が流れていて温度が少し低い感じで、みなさん「うわー涼しいな」と言って感嘆の声を発していました。川沿いは歩道が整備されていて歩きやすかったです。両岸の崖の樹木を堪能しながら、せせらぎの音を聴きながら歩いていきました。途中、玉沢橋でまたがる環状八号線下をくぐり、下って行きました。流れの左手崖側面にある等々力不動尊に寄り、お参りして等々力渓谷の出口へと向かいました。

古墳墓通りの市街地をかくかくと歩き、多摩川土手沿いの善養寺に到着しました。正式の名を『影光山仏性院大毘慮遮那殿善養密寺』といい、京都東山区の智積院の末寺です。樹齢700年から800年以上と言われているカヤの巨木が迎えてくれました。

善養寺を出て、二子玉川公園へ向かいました。この公園は、「多摩川の源流から二子玉川付近までの自然や文化をテーマとした、世田谷区の公園としては初の周遊式日本庭園」です。ここで楽しい昼食を取りました。ベンチやテーブルがありお弁当を食べるにはもってこいの公園です。

昼食後、ここで中締め解散にしました。本日のリーダーのYさんから初々しい挨拶があり、参加者はお礼の言葉を発していました。

その後、二子玉川駅のある「二子玉川ライズ」へ三々五々歩いていきました。ここは東急グループのショッピングセンター、オフィスビル、バスターナル・タワーマンションからなる複合施設です。日曜日とあって大勢の若いグループや家族連れが、楽しげに歩いていてとても賑やかでした。ここでは各人バラバラにお店に入って涼を取ったりして、アイスコーヒーやアイスクリームなどを食べながら歓談したことでしょう。

歩幅の極めて短い筆者のオムロンの活動量計で2万歩のウォーキングでした。みなさんなら1万5千歩くらいかな。とにかく、緑あり、大きな寺院があり、素敵な公園と清らかな水の流れがあり、にぎわうショッピングセンターもありと、多様なコースでみなさんとても満足していたように感じました。(A

■7月15日(土) 鬼母神から小石川後楽園 約10㌔
2023年7月15日(土)、14人(内2人新しい人)の参加で≪鬼母神から小石川後楽園≫のウォーキングが行なわれました。
出発はJR目白駅10時。最初は雑司ヶ谷鬼子母神堂へ。100mの参道の両側には樹齢600年を超えるケヤキ並木があり、暑さを和らげてくれました。ここでお参りがてらしばし休憩しました。ここまで約1400㎞でした

鬼子母神は安産・子育ての神であるとともに、法華経の守護神として日蓮宗寺院で祀られています。雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている鬼子母神尊像は永禄4年(1561年)に清土(現・清土鬼子母神堂)で掘り出され祀られましたが、現在の雑司ヶ谷鬼子母神堂は寛文4年(1664)に第二代広島藩主浅野光晟の正室・自昌院の寄進によって本殿が建立され、その後拝殿が増築されたものです。

目白通りにもどり「東京カテドラル聖マリア大聖堂」に。1899(明治32)年に建てられましたが、1945(昭和20)年の第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失。ドイツのケルン教区の支援によって再建設が決定し、故丹下健三氏の設計により、1963(昭和38)年4月に起工、1964(昭和39)年12月8日落成、献堂式が行われました。
大聖堂の中の見学は自由で、涼しい壮大な建物のなかで、休息をとることが出来ました。その後、目白台運動公園内の散歩道から、肥後細川庭園沿いの幽霊坂を下り、神田川沿いに出て、正門入り口から庭園に入りました。ここまで目白駅から約4000mでした。

肥後細川庭園は文京区立で、目白台の台地(関口台地)の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。江戸中期以降いくつかの旗本の邸地や下屋敷になり、幕末には細川侯の下屋敷になりました。その後、東京都が買収し、昭和50年に文京区に移管されました。平成29年3月に「肥後細川庭園」に名称変更しました。

西門広場にはきれいなテーブルやベンチが設置されており、心行くまで昼食を楽しみました。昼食後、細川家の学問所として使用されていた松聲閣(しょうせいかく)を見学しました。建物は歴史を醸し出す造作とともに、二階からの庭園の眺めは見事でした。

南門を出て神田川沿いにもどり、左手に江戸川公園を眺めながら、神田川の左岸(下流)を白鳥橋まで約2000mあるきました。スタートからここまで約6200mです。

ここで左折して神田川とはお別れして、安藤坂を上り牛天神下まで下り、左折して「小石川後楽園」の北西角を右折、南下し西門に着き、ここから入園しました。
昔の小石川は、起伏に富んだ地形で古い高木が茂っていました。南側には神田川が流れ、舟が行き来し船着き場が設けられていました。「後楽園球場」や「後楽園遊園地」などが建つ土地は、もともと水戸藩邸の土地で、水戸藩の殿屋が建てられていました。

小石川後楽園は水戸光圀らに相続され、家臣の教養や親睦を高めるための場となりました。庭園は個人の所有物ではなく、あらゆる階級の人々が招かれ、あらゆる会合の場として使用されたことが特徴です。庭園はその後改造が重ねられ第4代徳川宗尭によって思い切った園の改造を行ないました。
そんな庭園の中をそぞろ歩きして、西門付近で解散しました。

10㎞越えのコースでしたが、初めて参加したひとは「少々きつかったが、時々休憩を入れてくれたので助かった」と感想を漏らしていました。その人は「この付近で勤めをしていたので…」と最後は率先して案内をしてくれました。
今回は、新運営委員の提案とレビュー案内によるウォーキングで、暑かったけれども、とにかく楽しい有意義なウォーキングでした。ペットボトルを何本のんだかも会話にのぼっていました。(運営委員会)


■7月2日(日) 古代のロマン「大賀ハス」と千葉城 約8㌔
参加者14名。10時ごろJR西千葉駅を出発。
JR西千葉駅→千葉公園(大賀ハス)→千葉都市モノレール千葉公園駅付近→JR東千葉駅付近→千葉神社→大和橋→千葉城→千葉駅(約10㌔)

まずは、千葉公園内にある大賀ハスへ。
ハスもかなり開花しておりとても綺麗でした。
大賀ハスは千葉市の市の花で開花して4日間くらいで散ってしまうそうです。
ここで、20分程時間を取り、ハスの見学とソフトクリームを食べました。

続いて千葉神社へ。ここで皆様、参拝されました。
厄除け開運の神社と云われる千葉神社。
病気や事故・怪我などの悪い星を取り除き、善い星へと導く神様のようです。

その後は、千葉城へ。別名、亥鼻城と呼ばれており、城内は千葉市立郷土博物館となっています。
千葉市および千葉氏に関する常設展示のほか、企画展示を見学しました。
展示見学の後は、日陰を選び昼食休憩。

本日は天候は良かったですが、とても暑かったでした。
暑い中ではありましたが、リタイヤされた方もなく、最後まで無事ウォークできて本当に良かったと思います。
(運営委員会)

 
■6月17日(土) 水元公園&みさと公園  約8㌔
参加者13名。10時金町駅出発。駅からゆっくり歩いて30分ほどで水元公園(みずもとこうえん)と、小合溜(こあいだめ)を挟んだみさと公園を歩く。

広大な水元公園の一部菖蒲園へ。残念ながら花は終わりに使い状態でしたが、しょうぶ祭りが開催されて賑わっている。
釣りをしている人、大きなカメラを構えている人、鳥の声。
水辺を歩き、ふなばし・「めだかばし」を渡り、埼玉県側のみさと公園へ。

みさと公園には、東京ドーム3.6個分の広大な面積の水と緑に囲まれた公園。
1.5kmのジョギングコースがあり、コース左側に距離表示が100m単位にかかれている。ウォーキングするグループやランナーが利用していた。
強い日差しではあったが思ったより湿度は高くなく、時おり吹いてくる風が気持ちよい。対岸のにぎやかな音楽、内留に架かる水色の水元大橋を眺めながらのんびり歩く。

日陰を選び早めの昼食休憩。その後、10月21日22日に開催される全国交流ウォーキングについて出来立てほやほやのチラシを全国の皆さんに先駆け配布、説明をする。開催地が鎌倉と言う事もあり皆さん参加してくれそう。

再び水元公園へ戻り、江戸前金魚と呼ばれる江戸錦・江戸茜など24種類1000匹を飼育・展示している金魚展示場を見学し、隣接する水辺のいきもの館を見学・休憩。さすがの暑さには勝てずに金町駅へ戻り解散。広大な水元公園は四季折々楽しめる。
秋(12月上旬)の「メタセコイアの森」の紅葉はお奨め。

小合溜は江戸時代(吉宗)が治水事業として紀州藩の井沢弥惣兵衛命じて作られたもの。古利根川の増水時に小合溜井に導水し、江戸の街を洪水から守る役割。一見、川のようにも見えるが灌漑用水を調整する遊水池として作ったという。桜土手と呼ばれる土手は洪水防止の堤防。葛飾などの水田の灌漑用水にも利用されたことなどから「水元」と呼ばれている。
現在は大場川から水をポンプアップして循環させ水質保全を図っている。
そんな小合溜を挟んで都内唯一の水郷の景観を持っている両公園。当日配布の地図には境界線が記してあるが葛飾区と三郷市には未確定な境界線があるという。川であれば中央に境界線。三郷市は池の中央に境界を主張。対する葛飾は池全体が葛飾という立場という。住民からすればそんなこと関係ないよという声が聞こえてきそう。(運営委員会)

■6月4日(日) 都電とバラの花  約9㌔
千代田線町屋駅 1番出口(交番前) 9時45分集合 10時出発  昼食用意
町屋駅~都電沿い~王子駅~飛鳥山公園(7㌔)~旧古河庭園(8㌔)~六義園(9㌔)~駒込駅

本日のコースは都内で唯一残る都電荒川線(今は東京さくらトラムと言うらしい)
三ノ輪橋から早稲田まで12、2㌔の一部、町屋駅から王子駅まで沿線に咲くバラをめでながら歩き、飛鳥山公園へ行きます。

Web申込者1名、数年前に時々参加されていた方1名、クラブ員12名計14名町屋駅に集合。10時出発。日差しは強い割には湿度がほどほどでまあまあのウォーク日和でした。
メインのバラの花もちらほら。途中小台大通りを隅田川へ向かい整備された水辺ラインを歩き、親子連れで賑わう荒川区立あらかわ遊園を見学。緑道を遊園地の向かう親子連れとすれ違いながら都電沿線へ戻りました。

荒川車庫駅前で旧車両を利用した都電の歴史を懐かしく見学。梶原駅では「都電もなか」を求めお菓子屋さんへ立寄る。
行きかう都電とバラの花を写真に収めたりし、王子駅へ到着。階段が少々大変な方もいましたが、JR線をまたぐ陸橋を渡り無事飛鳥山公園へ到着。ここも親子連れで賑わっていましたが、日陰を選び昼食休憩。

ここで、3人の方が帰り、11名で本郷通りを歩き「旧古河庭園」へ。少し残っているバラの花をめで、バラのアイスクリームを食べ疲れを癒しました。
その後、さらに足を延ばし駒込駅で2人帰り9名で「六義園」へ。紫陽花の花をめで、新緑の庭園めぐりベンチで一休みし庭園を後に解散しました。
初めて参加されたⅯさんから楽しく歩けましたと感想を頂き、入会も約束してくれました。(運営委員会)


■2023年5月20日(土) 小網代の森~油壷  約14㌔
朝方は曇りで、天候が気になりましたが、風もなく、湿度も低く、午後からは晴れ間も出て、さわやかな一日でした。
三浦半島の先端、三崎口駅に集合し、11名で歩いてきました。
駅から少し車道を歩き、脇道に入り下ると左右の森から鶯が「ここにいるよー」とばかりに歓迎の声で出迎えてくれました。

ここは「小網代の森」として道は整備され、少し進むと湿地帯に入りますが、木道がきれいに整備され生い茂った草木から吹き寄せる風がなんとも心地よく、素晴らしい場所でした。
湿地帯の真ん中あたりに木造のテラスがあり休憩を取りました。右方向に少し進むと、海岸にたどり着き、そこは小網代湾で波が静かな湾でした。
ちょうど大潮の時間帯でしたので、潮が引いて砂浜が見えていたため、チゴガニのダンスが見れてラッキーでした。
チゴガニダンス
左に進むと、湾内はヨット係留地で小型ヨットが湾を占めていました。
シーボニアマリーナの野外テーブルで昼食をとり、海岸沿いを進み次の湾に進むとそこは油壷海岸でした。
油壷海岸から車道に沿って歩くと、左岸壁に異様な崖が見えました。ギザギザに折り重なった山肌が見えました。そこは、神奈川県指定天然記念物「三浦海岸海外町スランプ構造」と言って、昔海底火山で出来た瓦礫状の山肌構造物でした。

街中を少し進み、軽い坂道を越して下るとそこは終点、三崎漁港。少し時間を取り、市場で買い物をしました。三崎のマグロ丼に舌鼓を打ったメンバーもいました。
その後、満員のバスに乗って三崎口駅に戻り解散しました。

19年のウォーキングの時よりも、木道が整備され、ぬかるみにはステンレス板が敷かれるなど、歩きやすくなっており、トイレも新しく整備されて、素敵なコースでした。
案内のYさん有り難うございました。          報告 三浦


■2023年4月22日(土)里山風景と都立小宮公園散策 約7㎞

4月22日(土)、「里山風景と都立小宮公園散策」のウォークを実施。集合場所のJR八高線・小宮駅に会員9名が集合。「朝から晴天」との天気予報に反して、曇り空で日差しが見られず、少し肌寒いコンディションとなりましたが、予定どおり午前10時に出発。
今回は、小宮駅~関根家の長屋門~大蔵院の大イチョウ~都立小宮公園~浅川大橋~JR八王子駅(ゴール)のコース(約7キロ)を歩きました。

最初に訪れた関根家の長屋門では、立派な長屋門を間近で熱心にカメラに収めている参加者の姿が見られました。その後、東京都八王子水再生センターの横を通過し、八高線の高架橋の下を通って東京都道162号三ツ木八王子線を進み、大蔵院の大イチョウに到着。この木は、文政六年(西暦1823年)に書かれた『武蔵名勝図会』にも「囲り一尺九寸許」と記され、当時からこの近辺のシンボル的な樹木であり、樹齢は約五百年と推定されています。

三ツ木八王子線の上り坂を、給水休憩を交えながらゆっくりと進んだ後、宇津木台を通過。晴天であれば、この辺りで富士山の姿を望むことができるのですが、当日は曇天のため、残念ながら富士山を見ることはできませんでした。

この後、東京環状(国道16号線)に出て、さらに日光脇往還を進んで、都立小宮公園に到着、昼食休憩としました。昼食休憩時にも曇天が続き、日差しが一切なかったため、参加者から「ちょっと寒い」との声が聞かれました。昼食休憩後、都立小宮公園を散策。この公園は、加住丘陵の小高い緑の中にある里山公園で、公園の中心部は湧き水の流れる広い谷で、野鳥の声と豊かな植物にあふれており、木道を歩いて散策することができ、参加者は二手に分かれて広い公園内を散策しました。

公園内の大谷弁財天付近で合流した後、小宮公園を後にし、浅川大橋を通って、全員無事にゴールの八王子駅に到着することができました。終始曇天であったため、鮮やかな新緑の景色を楽しむことはできませんでしたが、前日までと異なり、気温が低めであったため、ウォーキングには適したコンディションで、上り坂の多いコースであったにもかかわらず、全員が予定どおり完走できたことは何よりでした。


2023年4月9日(日)多摩川天空散歩を実施 約7㎞
4月9日(日)、「多摩川天空散歩」のウォークを実施。集合場所の京急空港線・大鳥居駅に会員12名が集合。やや風が強く、朝のうちは少し肌寒かったものの、前日の土曜日とは打って変わって晴天に恵まれ、良好なコンディションの下、午前10時前に出発。
今回は、大鳥居駅~羽田神社~五十間鼻・無縁堂~羽田大鳥居~ソラムナード羽田緑地~多摩川スカイブリッジ~京急大師線・小島新田駅(ゴール)のコース(約7キロ)を歩きました。

羽田神社は、隣接する自性院の元鎮守社で、現在の本羽田・羽田・羽田旭町に相当する羽田村・羽田猟師町の旧村社。羽田神社に参拝後、産業道路を歩いて多摩川に出ました。多摩川沿いの歩道をしばらく歩き、河口堤防の先端にある五十間鼻・無縁堂(水難事故者を祀る無縁堂)の横を通過した後、羽田大鳥居に到着。

羽田空港近くのこの場所に大鳥居がポツンと立っている姿にはかなり違和感を覚えますが、これは戦後まもなく米軍が羽田空港を接収したことに端を発しています。この際、空港拡張のため3千人もの住民が強制退去させられ、羽田干拓地の守り神だった穴守稲荷神社は京急穴守稲荷駅近くに移設、大鳥居は空港内に取り残されてしまいました。その後、1999年になって、ようやく大鳥居は現在の弁天橋近くに落ち着くことができました。

羽田大鳥居を後にして、2020年4月に整備されたソラムナード羽田緑地の散策路から河口部や羽田空港を眺めつつ、多摩川スカイブリッジの下を通過した後、昼食休憩としました。昼食後、東京・羽田空港周辺と川崎市をつなぐ多摩川スカイブリッジ(2022年3月12日開通)を強風に吹かれながら渡り、予定どおり京急大師線・小島新田駅にゴールしました。

参加者からは、「普段は通過するだけで、訪れたことのない場所だったが、当クラブの行事のおかげで歩くことができ、大変良かった」との声が聞かれ、非常に印象深いウォークとなりました。


■2023年3月12日(日)春のせせらぎと上水・用水巡り

3月12日(日)、「春のせせらぎと上水・用水巡り」のウォークを実施。集合場所の玉川上水駅に15名(会員13名および一般参加2名)が集合。午前中は概ね晴天で、午後からは曇り空となりましたが、比較的暖かく、ウォーキングのコンディションとしては良好でした。

今回は、玉川上水駅~玉川上水~小川橋~彫刻の谷緑道~大ケヤキ通り~小川寺(しょうせんじ)~小平神明宮(こだいらしんめいぐう)~野火止用水~東京都薬用植物園~東大和市駅(ゴール)のコース(約6キロ)を歩きました。

玉川上水は、江戸時代前期の1653年(承応2年)に、人口が増加した江戸市中への給水のため、幕府の命により造られた水道施設。多摩川の羽村から四谷までの高低差92.3メートルの間に全長42.74キロメートルが築かれました。

当クラブでは、過去にも何度か玉川上水のウォークを実施したことがありますが、参加者からは、「江戸時代にこのような上水道が造られたことに、改めて驚かされる」との感想が聞かれました。彫刻の谷緑道では、小さな渓谷の中に、武蔵野美術大学の学生彫刻家たちが創作した12点の彫刻を鑑賞することができました。

その後、小平市内で最大の巨木という竹内家の大ケヤキの横を通過し、さらに小平神明宮を訪れた後、小川緑地で昼食休憩。

昼食休憩の後、野火止用水を経由して東京都薬用植物園に到着。ここでは、日本の薬局方(医薬品に関する品質規格書)で使用されている植物を観賞することができました。

ゴールの東大和市駅で解散しましたが、今回は文字通り、玉川上水・野火止用水のせせらぎに耳を傾けながら、ゆったりとした春の散策を楽しむことができました。

■2023年2月18日(土)大森貝塚と東京港野鳥公園 約7㎞

2月18日(土)、「大森貝塚と東京港野鳥公園」のウォークを実施。集合場所のJR大森駅に14名(新入会員1名を含む会員12名、および一般参加2名)が集合。晴天で2月としては比較的暖かく、コンディションにも恵まれた中で午前10時前に出発。

今回は、大森貝墟碑~大森遺跡庭園~鹿島神社~大井の水神社~鈴ヶ森刑場跡~しながわ区民公園~大井ふ頭中央公園~東京港野鳥公園のコース(約7キロ)を歩きました。
「大森貝塚」は1877年(明治10年)、アメリカから来日した動物学者:エドワード・モースにより発見され、日本初の学術的な発掘調査が行われた場所。「大森貝塚遺跡庭園」はそんな大森貝塚に親しむために1996年(平成8年)に開園した区立庭園です。

その後、鹿島神社、大井の水神社を経て訪れた鈴ヶ森刑場跡には、はりつけや火あぶりに使われたという石が残っており、不気味な印象を受けました。ここは丸橋忠弥(「慶安の変」で江戸幕府の転覆を図った首謀者の一人)、八百屋お七などが処刑された刑場として知られています。しながわ区民公園の広場で昼食休憩を取った後、運河沿いに大井ふ頭中央公園の中を歩きました。モノレールが頻繁に往来している様子も眺めることができ、柔らかな陽ざしを受けて気持ちの良い散策となりました。

最後に、東京港野鳥公園(東京湾の埋め立て地の野鳥たちを保護し、観察するために作られた公園)を訪問。ここでは、野鳥たちの姿を、双眼鏡を使って観察することができました。望遠レンズ付きのカメラで野鳥たちを撮影している方も多く、また、「日本野鳥の会」の講習会も開催されていました。

ここで散会とした後、バスで大森駅へ向かいました。今回は、お天気にも恵まれ、歴史と自然に触れることのできる有意義なウォークを満喫することができました。
(以上)

■2023年1月17日(日)恒例七福神巡り 多摩川七福神&新田義興伝説 約4㎞を実施

コース:新田神社(恵比寿)~頓兵衛地蔵(布袋尊)~矢口中稲荷神社(福禄寿)~氷川神社(大黒天)~延命寺(寿老人)~東八幡神社(弁財天)~十寄神社(毘沙門天)~武蔵新田駅
2023年1月15日(日)、東京ウォーキングクラブでパワースポット巡り「恒例七福神めぐり 多摩川七福神&新田義興伝説 (約4㎞)」に行ってきました。久し振りにみなさんと歩きました。昨年訪れる予定が中止になったので「待ちに待った例会です!」と喜んだ会員もいました。参加者は会員が8名、一般参加者が1名の合計9名でした。

道は結構おだやかで歩きやすいコースになっていました。コース図には七福神のコース番号が振られていましたが、必ずしも順番でなくてもすんなり歩ける道になっていました。可愛らしいグッズが、それぞれの七福神の神社に祭ってありました。

「矢口の渡しの碑」巡りでは、多摩川の岸辺にあるべき碑がみつからず、あたらしく作られた碑が「東八万神社」の境内に「矢口の渡しの碑」として据えられていました。
「新田神社(恵比寿)」では、まだ七福神めぐりのお飾りが残っており、新年の厳かな雰囲気が醸しだされていました。御朱印台紙を購入して、七福神スタンプを楽しそうに捺している会員もいました。この台紙には全ての七福神のイラストが予め書かれてり、その横に空白がありスタンプを押せるようになっています。新田神社には全ての神社のスタンプが用意されていました。

七福神巡りが終わり中締めをおこなったあと、「池上本門寺」を訪れました。道を聞きながらスマフォで検索しながら、やっとたどりつきました。
総門から入ると加藤清正が寄進したと伝えられる、表参道九十六段の石段坂「此経難持坂(しきょうなんじざか)」が待ち受けていました。2002年に設置された、ジグザクに上れる緩やかな石段「おんな坂」があり「九十六段の石段」が無理な人はここを上りました。
とにかく、とても楽しい七福神めぐりでした。(以上)