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2024年の行事報告

■4月14日(日) 多摩市の新緑を愛でながらゆっくり歩こう 約7km
◆行事報告 4月14日(日)多摩市の新緑を愛でながらゆっくり歩こう・約7kmがおこなわれました。参加者は5人です。
▼小田急永山駅を出発し、永山北公園で軽いからだほぐしをおこないました。続いて永山南公園をひとまわりして、諏訪永山ふれあいの道を歩きながら、諏訪第7公園、諏訪第6公園と公園をハシゴして、多摩市立陸上競技場へとゆっくりと歩きました。
▼途中、ふれあい橋、中諏訪橋、電車見橋の人道橋を渡りました。多摩ニュータウンの設計の基本構想「人道と車道との直接交差をなるだけさけ交事故を防ぐ」というねらいから「跨道人道橋(こどうじんどうきょう)、跨線人道橋(こせんじんどうきょう)」が沢山つくられました。跨道人道橋からは、緑豊かな並木道の車道を走る車を眺め、跨線人道橋の電車見橋からは、並行して走る小田急線と京王線を望めました。
▼多摩東公園内にある収容人数約4000人の観客席を備えた多摩市立陸上競技場につきました。外側に造られたジョギングコース約600mを歩き、バックスタンド側からは、2020年の改修によりブルートラックになった青色が映えるタータントラックと、天然芝の緑が美しいフィールドを眺めました。サッカーの練習が行なわれていました。
▼剣橋を渡り馬引沢南公園を横目に見て、都立桜が丘公園に入りました。桜と樹木が多い公園です。東京都多摩市連光寺、多摩の丘陵を活かした多摩丘陵自然公園内にある公園です。丘と谷があるため、高低差は数十mもある起伏に富んだ公園。雑木林を主体にした自然林が残され、散策にも絶好です。 桜の大木の下で50分かけて昼食をゆっくり摂りました。ときおり強い風で桜吹雪が舞い、参加者はすごい!と声をあげたり写真を撮ったりしました。
▼昼食後、多摩桜ヶ丘学園信号を左折し、ひじり坂を下り乞田川へと向かいました。熊野橋を左折して乞田川両岸の桜並木を歩きました。乞田川流域3㎞全体で500本の桜がありますが、ここ数日の気温上昇で、三日前の下見の時は満開だった桜には、葉桜が少々混ざっていました。
▼ 乞田川沿いを約1km歩いて永山橋を左折し、ゴールの永山駅に向かいました。
▼ウォーキング後、イタリアン・ファミリーレストランで、アルコール類やジュースを飲みながら歓談しました。今回は、参加者は少なかったですが、ウォーキング中の会話も弾み、楽しい時間を過ごすことができました。(運営委員会)

■3月30日(土)桜の善福寺緑地公園から双龍鳥居の馬橋神社 約11km5月
桜の善福寺緑地公園から双龍鳥居の馬橋神社約11kmが行なわれました。
JR荻窪駅東改札口に9人が集まりました。前日の春の嵐とは打って変わって.ウォーキングには持ってこいの日よりでした。

たった500m歩いただけで「太田黒公園」につきました。「荻窪駅から歩くとこんなに近かったのですね」と感想を漏らしている会員が二人ほどいました。
普段は荻窪駅とは逆の南側から来ることが多いそうです。この公園は回遊式日本庭園で音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた公園です。
門を入ると白い御影石を敷いた園路が70mもまっすぐにのびていて、左右は樹齢100年を経た大イチョウの並木です。特に秋は見事です。

さらに800m歩き「角川庭園」に入りました。
角川庭園は、俳人で角川書店の創設者である故角川源義(げんよし)氏の旧邸宅を、平成17年に杉並区がご遺族からの寄贈を受け、整備した庭園です。
管理者の方が熱のこもった丁寧な解説をしてくれました。角川家は俳句一家で、いまでも句会に利用されているとのこと。
「建物は和洋折衷方式で、この部屋は東側と南側の柱が一本も無い状態で開き、庭園が一望できる」と、ガラス戸を戸袋に納めたり引き出したりしながら自慢げに話してくれました。そして普段は使っていたりしてなかなか入れない茶室にも案内してくれました。
茶室では「この熱源は炭ですか?電気ですか?」とこんな玄人はだしの質問を混ぜながら、参加者たちは熱心に説明に聞きほれていました。

さらに1kmほど静かで優雅な住宅街をあるき、善福寺川緑地に着きました。
残念ながら「ソメイヨシノ」の開花はまだでしたが、日本原産の交雑種のサクラ「陽光桜」が一本、見事に開花しており、めいめい愛でながらスナップを撮っていました。つづいて善福寺川沿いをそぞろ歩きました。
途中、桜の大木のもとで車座になっていた「みみずく」を抱っこしたグループに出会い、5羽ほどのかわいい「みみずく」をしげしげと眺めたり、種類はなんですかと質問したりして、しばし、あゆみをとめました。

川のほとりで昼食です。

桜開花に恵まれ無い善福寺川緑地公園を12時に出発し、住宅街の道を20分程歩いて、猿田彦神社に到着。小ぢんまりしてますが、古来より物事の始めに災害を払い万事最も良い方向へ導いて下さるそうです。
境内の枝垂れ桜のピンクともみじの若芽のグリーンの対比が美しかったです。御朱印は手書きで、依頼した会員が感激していました。御神水で手を浄め、日頃の罪(?)を洗い流して次の目的地へ。15分程歩き、馬橋稲荷神社に到着。

今年の干支の龍が石造りの鳥居に彫られ、向かって左に昇り龍、右に降り龍、辰年に御参りするべき神社と謂れ、運気上昇を願い昇り龍を撫でるそうです。
社殿には、狛犬ならぬお狐様二体。その周りにちっちゃい願かけ狐がぐるりと取り囲んで大変可愛いです。
神社をあとにして、桃園緑道を高円寺方向に向かいます。緑道は車の心配をせずに歩けるので少し広がりながらおしゃべりをたのしみながら1km程歩きました。目的地は高円寺の地名の由来でもあるお寺です。

宿鳳山高円寺は、将軍徳川家光公が鷹狩りの際、一般の雨宿り客としてもてなされたことを気に入り、鷹狩りの度に立寄る様になり有名になる。その後家光公がこの地域の名を小沢村から高円寺村と改称し、現在の地名の「高円寺」に至っています。
門は三つ葉葵が彫られ、一般人は通行出来ません。
本堂は重厚で彫物も鳳凰や象・虎・天女が彫られ、屋根瓦に三つ葉葵が幾つも有り、鬼瓦も立派でした。
本殿隣の稲荷社には、双龍の鳥居が有り、前述の馬橋稲荷神社、品川区の品川神社とこの鳥居を「東京三鳥居」と言うそうです。ここで水分補給をしてから、最後の目的地、氷川神社・気象神社へ向かいます。

5分位で、氷川神社に着きました。
気象神社は氷川神社境内に有ります。氷川神社の御祭神は素戔鳴尊(すさのうのみこと)で、姉は天照大御神です。
手水舎が花で一杯に埋められ、綺麗でした。手を浄め参拝し、その後お隣の気象神社へ。かわいい鳥居をくぐり抜けて、小さいお社は参拝者の列。下駄の絵馬には、晴れ女・晴れ男に成りたいとの願いが多いようです。やはり、人生は晴れ続きがいいですよね。

最終目的地を後にして、高円寺駅に3分で到着。拙い案内に皆さんの協力で無事に予定コースを完歩出来ました。9名と少人数で、前半に1名のリタイアが有りましたが、お天気に恵まれて気持ち良いウォーキングでした。
参加の皆さんありがとうございました。(運営委員A&会員O)



★下記↓4月6日の行事は延期しました。
■4月6日(土) 桃祭りの素戔雄(すさのお)神社 約10km
昼食持参
東京メトロ日比谷線・南千住駅(北口)→延命寺の首切り地蔵→石浜神社→
都立汐入公園→スサノオ神社→天王公園→荒川自然公園→
東京メトロ千代田線・町屋駅

310() 「板橋のこども動物園・巣鴨地蔵商店街 約8km
都営三田線・板橋区役所前駅(出口A2)に11人が集合しました。コースは、板橋こども動物園→板橋区立植村記念加賀スポーツセンター→旧中山道→近藤勇像→すがも鴨台(おうだい)観音像(さざえ堂)→巣鴨地蔵通商店街→すがも桜並木通り→JR大塚駅です。

まず、東板橋公園にある「板橋こども動物園」を訪れました。ここは1975年に設立し40年以上の長きに渡り区民に親しまれてきましたが、施設の老朽化に伴う改修工事のため2018(平成30)年72日から長期休園していました。
2020(令和2)年128日、これまで培われてきた『賑わい』と『憩い』を継承しつつ、草屋根や壁面緑化による環境負荷軽減への取り組みや、キッズルームやおむつ交換スペースなどの施設機能を充実させ、装い新たにオープンしました。
「ポニー引馬」「モルモットだっこ」「ヤギ・ヒツジの放し飼い」「ヤギ・ヒツジのエサやり」「ヤギの草屋根のぼり」など動物と直接触れ合える動物園でした。
「ヤギ・ヒツジの放し飼い」の広場では、初春の日差しが暖かく当たる場所を選んで、ヤギとヒツジたちが眠そうな眼をして暖を取っていました。多くの親子づれがそのヤギとヒツジに触れて喜んでいました。
参加者が触ってみると5㎝位手指が潜り、あまりにフカフカしているのに驚いていました。


つづいて、板橋区の複合施設「板橋区立植村記念加賀スポーツセンター(旧東板橋体育館)」を見学しました。私たちのクラブでも、20167月9日に「植村直己の足跡を訪ねて」と題して訪問したことのある「植村冒険館」は1992年に板橋区蓮根(はすね)に設立されました。
蓮根の施設は手狭で常設の展示室がなかったことから、2021年(令和3年)829日限りで閉館され、現在の場所に移転したとのことです。展示場も3階建てになり、内容も最新の展示技術を取り入れるなど充実していました。
その当時参加した人からは「その変わりように驚いた。また耳慣れた東板橋体育館がこの施設にリニューアルされたことも知らなかったので、最初は記憶が追い付かず浦島太郎状態だった」と感想を漏らしていました。二つの施設ともに入場無料であることに感謝しました。

つづいて旧中山道をしばし歩き東京都北区(板橋駅前)にある「近藤勇墓所・新選組隊士慰霊碑」を訪れました。永倉新八が明治9年に建立したものです。

大正大学巣鴨キャンパス敷地に20135月18日に落慶した「すがも鴨台観音堂」に寄りました。建物は八角・三匝(さんそう)の階堂で、堂内の回廊は往路と復路が交わることのない二重螺旋構造になっていました。その姿が巻き貝のさざえに似ていることから「鴨台さざえ堂」愛称で呼ばれています。大正大学の建学の理念である「智慧と慈悲の実践」に重ねて具象化したものだそうです。

昼食は「豊島区立西巣鴨二丁目公園」で摂りました。座るベンチが十分にあり、30分間、ゆっくりと食事を楽しめました。ここでも父母と訪れた幼子たちが走り回っていました。

東京さくらトラム(都電荒川線)の庚申塚駅と英和通りを横切り、巣鴨地蔵通商店街に入りました。
ここからは集合場所と時間を決め自由行動です。
想像していたより若い人のグループが多かったです。参加者の数人が名物塩大福を買うために列に並び、高岩寺をお参りしたグループも全員決められた時間に集合しました。
足の痛い人、用事のある人が三田線巣鴨駅で帰りました。


その後【染井吉野の碑】を横目に「すがも桜並木通り」を歩き「JR大塚駅」で解散しました。
残念ながら桜はまだ蕾でした。
(運営委員)

■3月3日(日)梅満開の高尾梅郷 約8km
jR高尾駅に12名が集合です。
ここから小仏まで約30分程バスに揺られます。
下見の時は朝早かったので登山客でいっぱいだったバスも今日はメンバー全員座ることが出来ました。幸先の良いスタートです。

今回のコースは中央自動車道と中央本線に挟まれ南浅川に沿って旧甲州街道を進みます。

小仏バス停折り返し場から旧甲州街道を一列になって下っていくと木下沢(こげさわ)梅林に到着です。
こちらは毎年開花時期に合わせて解放されます。今年は32日から17日です。
甘い香りに反応する人、全然匂わないなと首をひねる人。さまざまです。
白梅の中に一本だけある紅梅に目を奪われたり、枝垂れ梅の優しい様など小仏梅林・木下沢梅林・摺差(するさし)梅林・高尾梅の郷まちの広場(昼食)・天神梅林・関所梅林と梅の花でいっぱいでした。

コース全体は4.5キロメートルで約10,000本の梅が咲き誇ります。
咲き終わった樹・満開の樹・蕾でいっぱいの樹で梅を満喫したウォーキングでした。
この高尾梅郷はメンバーでもご存知の方が少なく穴場なのかもしれません。
ただ惜しむらくは道が細く危険な事と、トイレは有るのですが非常に混雑している事でした。
今日もメンバー全員無事に完歩できて感謝いたします。(運営委員)

■2月18日(日) 教学院から馬事公苑 約10km
田園都市線・三軒茶屋駅に11名が集合しました。
初めての参加者お一人を予定してましたが残念ながら当日体調不良により欠席されました。

今回の三軒茶屋駅周辺は準備体操を出来る場所がなくそのまま『キャロットタワー』の26階にある『スカイキャロット展望ロビー』に向かいます。
高さは地上120mほどで以前のウォーキングでお邪魔した文京区のシビックセンターと同じくらいです。

そこからはすぐ近くにある江戸五色不動の一つの目青不動を安置してある『竹園山最勝寺教学院』へ。
不動堂を覗き込んだ後は住宅地の細い道を一列になって歩きます。

次の目的地は以前訪問した時より大きく綺麗になった気がする『松陰神社』です。
吉田松陰先生をお祀りしてあり山口県萩の松陰神社境内の『松下村塾』を模した建物もあります。

ここからは又住宅地の細い道を進み『世田谷城址』『豪徳寺』へ向かいます。
豪徳寺はインバウンドの人々が奉納された約10,000匹いる白猫の前でポーズを取っています。
三重塔に猫の彫刻があるとの会員の情報により猫を見つけるのに夢中になり写真も沢山取りました。
これは「現代の左甚五郎」と言われる渡邊勢山氏による猫たちです。

『世田谷八幡宮』の土俵横の観覧席で昼食を取り『世田谷代官屋敷』では併設された郷土資料館を見学します。

『JRA馬事公苑』へは世田谷通りを30分近く黙々と歩きます。。
こちらは2017年1月より休苑してましたが、昨年11月にリニューアルオープンしました。
2月はイベントの開催がなく、又広い公苑の中を散策することも馬を見る事も出来ず物足りなさを感じました。
最終目的地は用賀駅でしたが帰り道が電車・バス・他のコースへ足を延ばすグループ等、行先がバラバラになったので馬事公苑のこちらで解散しました。

その後私達は6名で『向井潤吉アトリエ館』へ向かいました。こちらも住宅地にあり素敵なログハウス風のギャラリーとそのお庭ですっかり落ち着いた気分になり、今迄の向井潤吉の作品とは違うイメージの作品に感嘆したり満足しました。

最後になりましたが、今回は世田谷区特有の複雑な分かりにくい道を迷う事無くスイスイと先導してくれたリーダーに感謝します。ありがとうございました。(運営委員)


2月10日(土)葛西臨海公園の水仙と河津桜 約6km
集合場所の東西線・西葛西駅に会員11名が集合。もう1名は都合により、葛西臨海公園内で合流(合計12名参加)。晴天で、この時期にしては比較的気温も高く、絶好のコンディションの下、午前10時前に出発。

西葛西駅近くの公園で準備体操、リーダーのコース説明を受けた後、今回のメインである都立葛西臨海公園を目指して、江戸川区立球場、清新町緑道・かもめ橋を進み、都立葛西臨海公園に到着。この公園は大空のもと紺ぺきの海が広がる東京湾に、緑と水と人のふれあいをテーマに五つのゾーンを配して誕生した公園で、昭和601月から葛西沖開発土地区画整理事業の一環として着手され、平成元年度にその一部約38ヘクタールがオープン。平成64月には鳥類園ゾーン、平成77月には展望レストハウス「クリスタルビュー」、平成13年春には大観覧車がオープンしました。

最初に、希望者のみ日本最大級(全高117m、直径111m)と言われる大観覧車に乗りました。料金は結構な金額でしたが、ゴンドラからは東京湾、東京スカイツリー、東京タワー、東京ディズニーランドなどを望むことができ、満足度はかなり高かったです。

葛西渚橋を渡り、柔らかな陽ざしに恵まれた中、西なぎさで少し早めの昼食をとった後、展望レストハウス「クリスタルビュー」へ。眺めは良かったですが、総ガラス張りの温室のような構造で、内部はかなり暑く、参加者からは「夏場はこの中には入れないね」といった声が聞かれました。

その後、ガラスドームが目印の葛西臨海水族園を見学。ドーナツ型の大水槽を群泳するクロマグロや600種を超える世界中の海の生き物を見ることができましたが、多くの家族連れやカップル、遠足の保育園児の団体などでかなり混雑していて、なかなか水槽に近づくのが難しい状態でした。ここではリーダーから約1時間の自由時間を与えてもらったのですが、スマホで魚たちの写真や動画を夢中で撮影しているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

最後に鳥類園ゾーンを訪れましたが、参加者は野鳥の観察よりも、鳥類園ゾーンを過ぎて、葛西臨海公園駅へ向かう途中の白梅、紅梅、ロウバイ(蝋梅)の美しさに関心が集中していて、花の話題で大いに盛り上がっていました。

JR葛西臨海公園駅の前で解散しましたが、今回のウォークでは、大観覧車、水族園などを童心に帰って楽しむことができ、大変に良い思い出となりました。(
運営委員)

■1月28日(日)ニコライ堂から湯島聖堂・東大三四郎池 約9km
【山手線30駅の周辺散策】の第三回は神田駅をスタートし東大三四郎池を廻り本郷三丁目を目指します。
今日は9人のメンバーと3月から入会を約束された1名の合計10名でスタートです。
神田駅から先ずは【万世橋跡】に向かいます。
1943年に廃止された旧国鉄万世橋駅の階段(1912階段・1935階段)やレンガ基礎の遺構等が見られますが、マーチエキユート万世橋の一階にあるライブラリーは11時からの営業なので今回は見ることが出来ませんでした。
それでも、ガラス張の部分から中を覗いてみたり遺構の上のガラスに乗ってみたりして興味は尽きません。

次は通称【ニコライ堂】の【東京復活大聖堂】まで10分程歩きます。
緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴の聖堂ですが、今日の曇天に何となく現在のロシアの状況に思いを馳せる会員さんもいたようです。
聖自治日本正教会は、あらゆる暴力行為と破壊に反対します。今般のウクライナにおける紛争の一日も早い解決を切願します
こんな張り紙もありました。

聖橋を渡り【湯島聖堂】へ向かいます。こちらは幕府直轄学校で「昌平坂学問所」として1797年に開設された史跡です。
大きな孔子の像や宥座(ゆうざ)の器があり参加者も挑戦です。

湯島聖堂の脇の【昌平坂】を登り向かいにある【神田明神】正式名は【神田神社】に参拝して【東京水道歴史館】を訪問します。
こちらでは江戸の水道の様子等を時系列に学ぶ事が出来ました。

隣接されている【本郷給水所公苑】でお弁当を頂きます。
本郷給水所の上部に構築されており日本庭園とフランス式庭園がありバラが盛りを過ぎてはいましたが庭園を彩っていました。
お昼を頂いてからは東大構内を【東大・三四郎池】に向かいます。

東京大学の龍岡門から構内に入り右手に東大医学部付属病院を眺め三四郎池に到着しました。
急な石段を登ると安田講堂がありその前で集合写真をパチリ。
ここからは正門を抜け【赤門】で門と加賀藩の由来に話を広げ、近くの本郷三丁目駅で解散です。

今日も無事にウォーキングを終了できました事に感謝です。(運営委員)




■1月20日(土)東京ジャーミーから日本一小さい植物園 約9km
前日からの雨・雪の天気予報にもかかわらず、勇者9名が参加です。

代々木上原駅から『東京ジャーミー(トルコ文化センター)』に向かいます。
今回は人数が少ないせいもあり出発時間の10時を前に出発できました。
が、東京ジャーミーの開館時間は10時なので3分程待ちます。
その間に建物の周りのトルコ風の装飾を見たりしていました。
特に壁に埋め込まれたプレートは印象的でそのプレートに記された文字は多分4か国語で表示されていました。

開館したので1階の部屋に入ります。
トルコの文字を練習している方が数人いらっしゃいました。
隣には『ハラールマーケット』がありトルコの民芸品ゃ食品が所狭しと並んでおり当会員さんも買い物をされていました。
次は二階にある礼拝堂に移ります。ここに入るには女性はスカーフ等で髪の毛を覆わなければいけませんので備え付けのスカーフをお借りしました
礼拝堂内部は絨毯やステンドグラス・シャンデリア等が素敵でに見とれてしまいます。
なかなか離れ難いのですが、東京ジャーミーを後にして代々木公園に向かいます。

代々木公園では炊き出しの様子を横目にして寒さに負けないよう甘いお菓子や東京ジャーミーで購入したデーツを頂き元気を
補充し、ケヤキ並木の『earthgarden゛冬"2024』で買い物したい気持ちを抑えて『白根記念渋谷区郷土博物館』に向かいました。

このあたりから雨がパラついてきました。
『白根記念渋谷区郷土博物館』では『渋谷にあった映画館-昭和30年代まで-』を開催しており古い映画のパンフレットを懐かしそうに見る会員さんもいました


外に出ると傘無しで歩けそうですが、昼食予定の公園に着くころには雨が降っておりここでは昼食はせず次の『渋谷区ふれあい植物センター』に向かいます。


こちらはテレビで放送されたせいもあり若い方々で混んでいました。
植物センターというよりはカフェの様で会員さんも楽しみにしていたのですが、少しテンションが下がった様子です。
雨も降ってきたので木村カエラが作成した『INFINITY LOVE BENCH』のある渋谷川の公園で解散しました。(運営委員)

■2024年17() 日本橋七福神巡り 約6km
初めて例会に参加するKさんも含め15名の参加で「日本橋七福神巡り」が行なわれました。最高気温は13℃前後で、北風がやや強いため寒くかんじられる冬晴れの日でしたが、七福神めぐりには最適でした。

北陸地震で亡くなられた方々の冥福を祈り、被災された方々へのお見舞いの心で、JR東京駅・日本橋口→小網神社→茶之木神社→水天宮→松嶋神社→末廣神社→笠間稲荷神社→椙森神社の順にまわりました。

七福神への信仰は、室町時代より500年にわたって日本人に受け継がれ、年々盛んに。日本橋七福神めぐりはすべてが神社で構成され巡拝距離も短く、日本で一番巡拝が短時間に参拝できるのが特長です。この地区にある日本橋通りや人形町通りは、江戸下町の伝統を持つ繁華街。懐かしい下町情緒の地名に触れながら参拝しました。

最初は福禄寿の「小網神社」。日本屈指のパワースポットとしても有名であるため、参拝客が多かったです。SNS情報では「待ち時間は1時間以上は当たり前!」とのことですが、この日も長蛇の列でしたので、行列の先頭で列から外れた位置でお参りしました。

つぎに布袋尊「茶の木神社」。元この土地は、徳川時代、下総佐倉の城主大老堀田家の中屋敷で、丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれ、芝の茶の木の緑が実に見事であったと伝えられています。永年火災が起こらなかったため、「火伏せの神」として崇められるようになりました。このためか地元の建築会社の社員数十名、神主のお祓いを受けていました。
人形町通りを横切り「宝生弁財天水天宮境内」弁財天に詣でました。「宝生」という名称は、久留米藩第9代藩主有馬頼徳公が、加賀藩第11代藩主前田斉広公と「宝生流能楽」の技を競われた際、弁財天に願をかけ、見事に勝利を収め、それ 以来、宝生弁財天と敬われています。芸事をはじめ学業・金運のご利益が名高いと信仰されています。

4番目に参拝したのは大黒神の「松島神社」。鎌倉時代の元亨(1321) 以前と推定されています。鎌倉時代、柴田家が下総から小島だったこの地に移り住み邸内に諸神を勧請しました。島内は松樹が鬱蒼としており「松島稲荷大明神」と唱えられました。大国主神をはじめ、14柱と他社に比べて多いとのこと。

大門通を北東に歩み、毘沙門天の「末廣神社」を参拝しました。慶長元年(1596)以前に稲荷祠として鎮座。延宝3年の社殿修復の際に中啓(末廣扇)※ が見つかったことから末廣神社と名付けられました。

日本橋人形町エリアから抜けて日本橋浜町エリアにある寿老神の「笠間稲荷神社」に参拝。日本三大稲荷のひとつ茨城県・笠間稲荷神社は笠間藩主牧野家に より代々厚い信仰が寄せられてきました。江戸時代末期安政6年 (1859年)藩主牧野真直公が笠間から御分霊を江戸下屋敷(当地) に奉斎したのが始まり。日本橋魚河岸の 守り神として、五穀・水産・殖産興業の守護神として商人庶民問わず広く信仰を集めました。福徳長寿の守護神となっています。

おしまいの七福神は少し離れた日本橋堀留町にある恵比寿神の「椙森神社(すぎのもりじんじゃ)です。藤原秀郷が平将門の乱鎮定のため戦勝祈願し、戦後白銀の狐像を奉納したとされる。文正元年(1466年)には太田道灌が雨乞いに霊験があったとして山城国稲荷山五社大神を勧請して祀りました。江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、庶民だけでなく松平信綱や松平頼隆といった諸大名からも崇敬を集めるようになりました。
解散後、十数人が馬喰町の外食店で歓談しました。(運営委員会)

中啓(末廣扇)とは
中啓と扇子の違いは、閉じたときの形状にあります。 中啓(図A)は閉じても先端が開いた状態 です。扇子(図B)は、閉じると先端から手に持つ部分までを閉じられます。 これが扇子と中啓の大きな違いと言えるでしょう。 この他、 中啓はあおぐものではなく、威儀を整えることを目的に持たれる という点にも違いがあると言えます。