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2019年10月5日(土)第190回例会「柿生の峰を巡る散歩道」9km
14名の参加でおこなわれました。コース:小田多摩線はるひ野駅 南口改札口→はるひ野の住宅街→黒川よこみね特別緑地保全地区→よこやまの道→はるひ野の住宅街→汁守神社→セレサモス(農産物販売センター)→黒川青少年野外活動センター→真光寺公園東側辺り・町田市立鶴川台尾根緑地と川崎市栗木特別緑地保全地区などの間にある尾根道をあるきました(通称「柿生の峰」「鎌倉街道早ノ道」)。→川崎フロンターレグラウンド→民家風そば店「櫻屋」脇→片平川沿いの道(スポーツ健康道路)→柿生駅まで 約9キロメートル。
最初に「はるひ野住宅地」から「黒川よこみね特別緑地保全地区」へ入る道を間違えて、「横山の道と尾根幹線道路」を西側に歩いてしまったため余分な行程を参加者にしいてしまいました。リーダーが「過去数回歩きなれた道」と油断してこの部分は下見をしていなかったミスでした。お詫びもうしあげます。
このため予定の「黒川池谷戸緑地」「黒川谷戸」を通らずに、はるひ野の住宅街から直接「汁森神社」に立ち寄り川崎市の農産物販売所「セレサモス」で買い物をしながら昼食をとりました。
その後鶴川街道から右折して黒川駅付近をとおる急坂の道路を汗を出しながらのぼり「黒川青少年野外活動センター」にたどり着きました。ここで登録をしてセンター裏道から散策道路に入りました。樹木と草が密集した階段と上り坂の道です。これを上りきると真光寺公園西辺りの通称「柿生の道」に突き当たりここを右折して奥海道をあるいていきいます。そこに突き当たるまでの道の左側には工場が見えてきました。「斜面の森」の保護とうたっているように、斜面には緑が残されていますが、その脇まで工場がせまっていました。しかし、森林の中の小道をあるいている雰囲気が味わえました。茂った樹木は照り付ける太陽を遮ってくれて吹き上げてくる風が体を冷やしてくれて気持ちのいい散策ができました。
川崎フロンターレのグラウンドを観て、茅葺き屋根の古民家がシンボルの蕎麦屋「櫻屋」左手に見て、片平川沿いの「スポーツ健康道路」へと下りました。そのまま歩いて柿生駅にゴールしました。


2019年9月28日(土)オプション「平山城址と柚木城址の歴史と長沼公園の自然を訪ねて」10㎞
参加者7名で、京王線平山城址公園駅を出発。今回のウォークでは、平山城址公園駅→宗印寺→平山京王緑地→平山季重神社→平山城址公園→東京薬科大学・薬用植物園→永林寺(由木城跡)→長沼公園(霜降の道)→京王線・長沼駅のコースを歩きました。コース距離は約10㎞、午前中は概ね晴れで、昼過ぎには雲の多い天気となり、気温は高めでしたが、爽やかな風が吹いて、ウォーキングには適したコンディションでした。
平山季重は武蔵七党の武士団に属し、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて源氏に従い活躍した武将ですが、最初に訪れた宗印寺には、平山季重の墓のほか、「木造平山季重坐像」など、日野市の市指定有形文化財が残されていました。都立平山城址公園は、平山季重の見張所のあった丘陵に広がる公園で、東京薬科大学の通路を挟んで西園と東園に分かれていますが、今回は西園を散策しました。東京薬科大学・薬用植物園は、昭和51年(1976年)薬用植物に関する教育と研究を目的として設置されましたが、現在では一般にも公開されており、私達も見本園と温室、丘陵の樹林の中に作られた自然観察路を見学し、41000㎡に及ぶ広大な敷地の中に存在する約500種の野生植物、約1500種の栽培植物を観賞することができました。東京薬科大学の関係者の皆様には、今回の私達の訪問に際して色々とご配慮を頂き、本当にありがとうございました。
昼食休憩後に訪れた曹洞宗寺院の永林寺は、大石源左衛門尉定久公の居館(由木城)であったものを、定久公が滝山城主として滝山城へ移るに至り、叔父である一種長純大和尚に譲り、天文元年(1532年)3月に永麟寺として創建され、その後八王子城主北条氏照公の助成を受けて天文15年に七堂伽藍の完備された大寺院が完成されたとのこと。天正19年9月に徳川家康公が当寺に巡拝された折り、朱印十石、公卿格式拾万石を授けられ、赤門の建立が許可され、また、永麟寺の麟の文字を林に変え、現在の永林寺の寺名となり今日に至っているとのこと、また、当地域に十ヵ寺の末寺を有する、格地本寺寺院であるとのことです。参加者からは、「八王子にこのような立派なお寺があることを初めて知った」、「今回初めて訪れたが、非常に良かった」との感想が聞かれました。
その後、都立長沼公園では雑木林の中の山歩きを楽しんだ後、「霜降の道」をひたすら下って、予定どおり京王線・長沼駅にゴールしました。
宗印寺から平山季重神社に至るまでの山道の急な登り坂や、長沼公園の平山口の長い登り階段など、楽ではない箇所もあった今回のウォークですが、参加者は滴る汗をぬぐいながら頑張って良く歩きました。参加者の皆さんは大変お疲れ様でした。


2019年9月24日(火)オプション「京浜運河沿いの中央海浜公園や自然観察路をめぐる」10km
東京モノレール駅流通センタ駅→東京湾野鳥公園(休園日で見学できず)→大井ふ頭中央公園→京浜運河沿いの緑地→新平和橋→平和島公園→平和島口交差点から第一京浜を歩き→磐井の井戸→大森海岸駅でゴール。
天候は青空に雲がかった状態でしたので照りつける太陽からは守られ、海からの風が吹きぬけ、心地よいウォーキング日和でした。
最初の「東京港野鳥公園」が定期の休園日である月曜日の23日が祝日であったため、火曜日が休園日になっており入園できませんでした。調査不足でした。下見のないオプションウォークなので「ネットでよく調べておくべきでした」とリーダは平謝りでした。
また道を一本間違えて、予定では南側の「京浜運河沿いの緑地」から歩くところを、東京貨物ターミナル駅横の道を歩いてしまいしました。この道と緑地との間には首都高速湾岸線の広い道路が走っており、緑地側に左折するための信号がありませんでした。結局、競馬場通りの大井中央陸橋の信号まで歩き、北側の「大井ふ頭中央海浜公園」から入るはめになりました。周囲があまりにも広大で地図では理解しているつもりでも、現地に立つとドローンででも使わないと自分のいる位置が理解しにくいのです。グーグルマップを使えばよかったのですが、時すでに遅しでした。
ドローンの目で見てみると東京都の運河は16本あり、京浜運河(けいひんうんが)は、東京都港区田町付近より品川区、大田区、川崎市を経て横浜市鶴見区大黒埠頭まで続く運河の総称です。橋は17本架かっています。今回の緑道は新平和橋と大和大橋のかかる大田区の部分です。
最初に「大井ふ頭(埠頭)中央海浜公園スポーツの森」(第三種公認陸上競技場、野球場6面、テニスコート等を有する都内有数規模のスポーツ公園)の北口から入ろうと思ったのですが、オリンピックのホッケー競技場の工事で入れませんでした。次に「大井ふ頭中央海浜公園なぎさの森」に入りました。自然観察小屋を見学しましたが、野鳥観察小屋や干潟の「なぎさの森」へは、ここも工事中ででれませんでした。参加者からは「この周辺はオリンピック・がパラリンピックが終わるまでだめだね。終わったらまたこよう」という声が聞こえました。そのまま京浜運河沿いの緑地へと歩を進めました。途中、鵜の大群が河畔にむれて魚を狙っていました。水面を波打って泳ぐ群れや飛び跳ねる様子が観れました。「おそらくボラの稚魚だね」という参加者の声。松林のひろばがあり、ここで昼食を摂りました。
その後、参加者からの要望もあり新平和橋で京浜運河の右岸に渡り「平和島公園」に寄ることにしました。花々に彩られた小径があり大規模な噴水広場がありと素敵な公園でした。公園を出て平和島1丁目の信号で左折し、競馬場通りから第一京浜にでて平和島口交差点で右折し、磐井神社、磐井の井戸を観て京急本線大森海岸駅にゴールしました。「しかし、あとから地図を見てみると、平和の森公園に入り南下して環状七号線に出て右折し、第一京浜の信号大森東で京急本線平和島に出るコースを選んだ方がよかったかもしれませんね」とリーダーは反省しきり。
解散後ゴールした全員で駅近くの喫茶店の冷飲み物で汗を落ち着かせました。途中磐井神社に「東海道七福神おめぐり図」が掲げられており「ここもいいね」という意見が出ていました。
以上、こんなわけでしっちゃかめっちゃかのオプションでしたが、結構歩いたトレーニングウォーキング? になりました。


2019年9月15日(日)オプション「岡上から奈良地区への町田フットパスを歩く」7km
参加者20名で、小田急線鶴川駅を出発。出発前には、新規入会者1名の嬉しいニュースがあり、幸先の良いスタートとなりました。今回のウォークでは、鶴川駅→鶴見川→岡上神社→岡上営農団地→岡上梨子ノ木緑地→玉川学園→土橋谷戸→西谷戸→奈良地区センター→TBS緑山スタジオ→三輪南遺跡→鶴川駅のコースを歩きました。コース距離は約9㎞、前日までの天気予報では午後から雨の予報となっていましたが、幸い好天に恵まれました。ただ、日差しは強く、気温もかなり高い状況下でのウォークとなりました。
今回のウォークは、「町田フットパスを歩く」ことがテーマでした。フットパスとは、歩行者専用の路地のことで、イギリスを発祥とする「森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと(Foot)ができる小径(こみち:Path)」のことを指します。イギリスでは、フットパスがいたるところに存在し、長いものだと160kmも続くものもあるとのことで、川や丘はもちろんのこと、農場や自宅の敷地内を通る道もあり、英国国民には、フットパスを大切にする文化が醸成されているようです。日本においても、各々の特徴を活かした魅力的なフットパスが整備されてきており、街づくりをする際に、車を気にせず子どもを遊ばせることができるよう、またペットの散歩コースなど、安心感・開放感のあるフットパスがいたるところにできてきています。
フットパスは、その地域の「昔からあるありのままの風景」を楽しむ道ですが、『その風景は、自然にできあがったものではなく、地域の方々の長年にわたる自然への働きかけや、風土に根ざした伝統的な生活スタイル、土地への愛着などの結果として生み出され、維持・管理されてきたものです。』(日本フットパス協会HPの説明文より引用)このため、私達も、今回のウォークでは、自然の維持・管理のために日々ご尽力頂いている地元の方々へ感謝しつつ、大切な自然を傷つけることのないように留意しながら歩きました。
「川崎市最後の秘境」とも呼ばれている岡上営農団地(岡上は川崎市の飛地となっています)、美しい自然の風景が維持・管理されている岡上梨子ノ木緑地、きれいな田畑や雑木林が息づく土橋谷戸などの風景を楽しみながら歩くことができました。
体調や時間の関係などにより、一部のメンバーは奈良地区センターでウォークを切り上げましたが、残りのメンバーは、TBS緑山スタジオ、三輪南遺跡を経由して、今回のウォークのスタート地点であり、ゴールでもある鶴川駅へ到着し、鶴川駅前の飲食店で昼食後、解散しました。


2019年9月7日(土)第189回例会「片倉城跡公園から寺社や磯沼ミルクファームを巡る」7km
「片倉城跡公園から寺社や磯沼ミルクファームを巡る」距離6㎞ 2019年9月7日(土)に参加者17名(一般参加者2名を含む)で、JR横浜線片倉駅を出発→片倉城址公園→片倉住吉神社→鶴壽山松門寺→片倉つどいの森公園→長慶寺→大林寺→磯沼ミルクファームへと訪れました。距離は約6㎞。太陽が照り付ける晴天で気温も高かったので、街路樹の少ない広い道路では汗だくの状態で大変でした。しかし樹林の多い地域ですので公園や寺院の木陰入ると夏風が吹き抜け清々しい思いもしました。一般の参加者の方が「片倉みんなの森公園は一度来たことがあります」といって案内を進んで受け持ってくれました。
磯沼ミルクファームを後にして、京王山田駅でゴール解散をしました。「五分後に準特急がくるよ!」との会員の声で、急ぎプラットフォームに向かいました。バラバラの車両に分散乗車したので全員すわれたようです。空調が聞いた車内でみなさん火照った体をひんやりと癒したことでしょう。
片倉城址公園:片倉城の城跡と周辺の優れた自然環境の保全を目的とした公園です。室町時代に大江広元を祖先とする長井時広(扇谷上杉氏の家臣)によって築かれたと伝わるが、歴史的にはほとんど不明です。公園内にはあちらこちらにブロンズ像象があり、目を楽しませてくれました。
片倉住吉神社:片倉城址公園のなかにあるので、周囲の木々なども心地よく、庭園のような感じです。社殿はあまり大きくはないですが由緒ある神社です。
鶴壽山松門寺(かくじゅざんしょうもんじ):開山僧は不詳ながら徳元年(1489)に創建、子安(八王子市)にあり、元禄年間(1688-1704)以降に寺町へ移転したといいます。昭和20(1945)年8月2日、太平洋戦争の大空襲で松門寺の伽藍は観音堂、山門を残して焼失致しました。数千冊に及ぶ貴重な原始佛教に関する文献も全焼致しました。
片倉つどいの森公園:広い原っぱが特徴で原っぱ中央から富士山や高尾山など山々が見られるとのことでしたが、富士山は見れませんでした。暑い中でもテントで楽しんでいるグループがいくつか居りました。
小比企山長慶寺(こびきざんちょうけいじ):徳応院慶林玉室居士が開基、存意玄誠が開山となり、天文16年(1547)に創建したといいます。この辺りを小比企丘陵といいます。小比企の由来はその音が示すとおり「木挽き」であり、林業、炭焼き、農耕が主たる産業であったことを伝える地名です。
薬王山大林寺:小坂氏大林が明応4年(1494)に創建、その後芳山月洲(天和3年1683年寂)が開山したといいます。
磯沼ミルクファーム:「牛と人の幸せな牧場、街の中の美味しい楽しい牧場目指しチャレンジ」を目指して運営しています。ホルスタイン種、ジャージー種、ブラウンスイス種、エアシャー種、ガンジー種を飼育、90頭の乳牛、13頭の羊などを育てています。乳製品製造業の工房で個性あふれるデザイナーズヨーグルト、乳製品を作っています。ここで昼食になりました。暑さに耐えてきたみなさんはこぞって乳製品を購入し舌鼓を打っていました。



2019年8月24日(土)第188回例会「お茶の水と神保町界隈を歩く」」距離4㎞
2019年8月25日(日)に参加者16名(一般参加者1名を含む)で、JR御茶ノ水駅を出発。今回のウォークでは、湯島聖堂、ニコライ堂神保町古書店街、気象科学館、将門首塚を訪れました。距離は約3㎞。ほぼ晴天で、気温も高かったのですが、風は結構吹いていて、日陰に入ると比較的しのぎやすく感じられる一日でした。また、当日は2名の新規入会者があり、新しい仲間を迎えてのウォークとなりました。
湯島聖堂:徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失しました。この復興は斯文会(明治13年〈1880〉、東洋の学術文化の交流を意図した岩倉具視が、谷干城らとはかって創設した「斯文学会」を母体とし、これが発展して大正7年(1918)公益財団法人斯文会となったもの)が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986年度)から文化庁による保存修理工事が行われ、平成5年(1993年)3月に竣工しました。御茶ノ水駅から至近距離にあって、非常にアクセスのよい場所に所在していますが、初めて訪れた参加者も結構いるようでした。
ニコライ堂:正式名称は「東京復活大聖堂」であり、イエス・キリストの復活を記憶する大聖堂です。建築面積は約800平方メートル、緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴であり、日本で初めての、最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築であるといわれています。明治24年(1891年)に竣工し、駿河台の高台に位置したため御茶ノ水界隈の景観に重要な位置を占めてきました。関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至っています。昭和37年(1962年)6月21日、国の重要文化財に指定されました。ニコライ聖堂では、係の方が沿革や概要について丁寧に説明して下さいました。
気象科学館:気象科学館は、気象庁の庁舎内にあり、気象や地震の観測機器をはじめ、天気予報のしくみ、緊急地震速報、津波、火山、地球温暖化問題、自然災害に対する防災知識などに関するパネルや装置を展示しています。ここでも、係の方が気象観測機器について、詳しく説明して下さいました。なお、気象庁は、庁舎の移転を予定しており、気象科学館も令和2年(2020年)4月に港区虎ノ門で新しくオープンする予定とのことでした。
将門首塚:伝承では、平将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされています。伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされていますが、その中でも最も著名なのが、ここ東京都千代田区大手町一丁目2番1号外にある首塚です。この地はかつて武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれていましたが、住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきたといいます。諸国を遊行回国中であった遊行二祖他阿真教が徳治2年(1307年)、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈って首塚の上に自らが揮毫した板碑を建立し、かたわらの天台宗寺院日輪寺を時宗(じしゅう)芝崎道場に改宗したといいます。日輪寺は、将門の「体」が訛って「神田」になったという神田明神の別当として将門信仰を伝えてきました。その後江戸時代になって日輪寺は浅草に移転させられましたが、今なお神田明神とともに首塚を護持しています。
昭和2年(1926年)に将門鎮魂碑が建立され、神田明神の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われました。
今回は、午後から当クラブの総会が予定されていたため、ウォーキング自体は、大手町の住友商事本社の近辺で終了し、解散しました。

2019年8月4日(日)オプション「都立林試の森公園とすずめのお宿緑地公園界隈を歩く」距離7㎞
2019年8月4日(日)に参加者16名(他クラブ1名を含む)で、JR目黒駅西口を出発。今回のウォークでは、寺社と緑豊かな公園を散策しました。距離は約7㎞、気温34度の酷暑日でした。でも照り付ける太陽を公園群の緑陰と並木道が遮ってくれました。
▼最初は大鳥神社です。大同元年(806年)に社殿が完成しこの年を創建の年としており、これは目黒区最古です。
▼続いて目黒不動尊瀧泉寺に向かいました。江戸三大不動・江戸五色不動の一つ。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もあります。青木昆陽の墓があることでも知られています。寺伝では、808年(大同3年)円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したということです。境内は台地と平地の境目に位置しているので、高台にある大本堂へは急な石段を上ります。石段下の左方には独鈷の滝(とっこのたき)、前不動堂、勢至堂などがあり、右方には書院、地蔵堂、観音堂、阿弥陀堂などがありました。
▼途中、有名なウナギ屋さんの人だかりを見ながら、林試の森公園へと向かいました。東京都目黒区下目黒と品川区小山台にまたがり所在する都立公園。1900年(明治33年)6月に「目黒試験苗圃」が設置され、当時の広さは約45,000坪ありました。1905年(明治38年)に林野庁「林業試験所」、1910年(明治43年)に「林業試験場」と名称を変え、1978年(昭和53年)につくば市に移転(現・独立行政法人森林総合研究所)しました。跡地は東京都に払い下げられて公園として整備、1989年(平成元年)6月1日に「都立林試の森公園」として開園した。開園面積は120,762平米(約36,000坪)です。緑豊かな公園で、酷暑の夏でも心地よく歩けました。ただ樹木が密集しているところでは夏風の通りが少なかったです。この公園のボードには、「公園では一時的に水をためこみ、ゆっくりと地中にしみこませることで洪水の危険を減らす取り組みをしています」と書かれていました。その機能としては「落ち葉の層が雨水をスポンジのように吸収し、地下にある貯留ブロックが雨水を一時的に貯めこみ、徐々に地中に浸透させます」と書かれていました。
▼清水公園で昼食を摂りました。昭和10年に東京都が、公園として開園し、以後昭和27年9月に目黒区により釣り堀池として整備されてから、都内には珍しい釣りのできる公園としてにぎわっていました。多くの釣り人が楽しんでいました。そのうちの一人の方に声をかけると「年金者組合のものだが、みなさんの歩く姿に関心をもっていました。自分たちもウォーキングをしたいと思っています」としばし対話が続きました。クラブのしおりがあればよかったなあと思いました。
▼圓融寺、碑文谷八幡宮を経てスズメのお宿公園にたどりつきました。今からおよそ200年前、江戸時代安永年間に始まったという目黒の筍栽培は、大正中頃に最盛期となり、有数な竹林だったこの地では良質の筍が収穫されたと言われています。また昭和のはじめ頃、この竹林は付近一帯のスズメのねぐらになっていました。数千羽というスズメが朝どこへともなく飛び立ち、夕方には数百羽が一団となって帰り、空が薄暗くなるほどだったそうです。そのためこの場所は「スズメのお宿」と呼ばれるようになりました。
今でも竹林やシイ・ケヤキの大木が残り、野鳥が多く生息しています。なお北側の一角に栗山家の母屋(目黒区指定有形文化財)が復元されています。母屋では管理人の方がいろいろと説明してくれました。
▼終わりは碑文谷公園(ひもんやこうえん)です。東急東横線学芸大駅の近くにあります。かつての荏原郡碑文谷郷、後の碑文谷村に由来する。 「碑文谷」の語源は、 ①通説になっているのは、碑文谷八幡宮内稲荷社に保存されている梵字を刻んだ「碑文石」のある谷(里)ないし秘文の谷(里)(「世田谷城名残常磐記」)が起源とするもの、➁鎌倉・室町期から檜の加工品「檜物(ひもの)」作りが盛んであったことに由来する。③円融寺にまつわる説など、諸説あるようです。弁天池があり弁天様が祀られていて、ボートで遊ぶことができます。ウォーキングはここで解散しました。ガード下のベーカリーカフェで「ストロベリーとシトラスの夏色フラッペ」で火照った体を癒したメンバーもいました。

クラブ行事報告:オプション「歴史と文化の上野の森を散策」2019年7月27日


クラブ行事報告:第187回例会「三浦半島、守られた小網代の森と湿原を歩く
2019年7月14日(日)に参加者9名(一般参加者(長野県在住者)1名を含む)で、京急・三崎口駅を出発。今回のウォークでは、小網代の森および荒井浜・油壷湾を訪れました。距離は約7㎞。今回も雨天が予想されていましたが、幸い、小網代の森で小雨が降った程度で、概ね、雨具を使う必要もなく、ウォーキングを行うことができました。

小網代の森:経済成長に伴う都市化の波により、昭和35年(1960年)から平成20年(2008年)までの間に神奈川県域の実に6分の1以上の緑が失われました。小網代の森も昭和45年(1970年)に市街化区域に指定され、ゴルフ場などの開発計画が持ち上がりました。しかし、貴重な自然環境が再認識され、平成7年(1995年)に「かながわトラストみどり基金」による緑地の買い入れを進め、平成17年(2005年)に国が近郊緑地保全区域に指定し、保全への歩みが始まりました。さらにボランティアによる自然再生活動や神奈川県等の園路整備が進み、平成26年(2014年)に一般開放されました。今回は、引橋入口から、中央の谷→まんなか湿地→やなぎテラス→えのきテラスのコースを歩きました。小網代の森は、川の始まり(源流)から海に向けて、コナラの森、アスカイノデの谷、ハンノキからジャヤナギの木立、クサヨシ・ヨシの湿地へと変化しており、様々な生育環境を好む樹木の移り変わりを見ることができます。当日は、雨天の後であったため、干潟には下りませんでしたが、良く整備された木道を歩きながら、先人の努力によって守られた、非常に貴重な自然に触れることができ、得難い経験をすることができました。

荒井浜・油壷湾:「油壷」の名の由来については、永正13年(1516年)、新井城(今の油壷一帯)を最後の居城として立て籠もった三浦一族が、北条早雲の大軍を相手に3年間にわたる奮戦も空しくついに全滅しました。多くの将兵は自刃、討死し、また油壷湾へ投身したと伝えられており、そのため湾一面が血汐で染まり、まるで油を流したような状態になったので、後世、「油壷」と言われるようになったとのことです。私達は、1979年(昭和54年)に「かながわの景勝50選」選定された油壷湾を眺めながら、往時を偲びました。

この後、ウォーキングを切り上げて、近くの食堂で昼食を済ませた後、路線バスで三崎口駅へ戻り、解散しました。


クラブ行事報告:オプション「あだちの旧跡に触れ自然を満喫する
2019年6月23日(日)に、参加者14名で、つくばエクスプレス六町(ろくちょう)駅 を出発。今回のウォークには一般参加者4名(うち1名は長野県在住者)の参加がありました。今回は、雨天が予想されていたため、コースを一部変更して、六町駅⇒不動院(矢納弁天)⇒綾瀬川沿いの遊歩道⇒長建寺⇒鷲宿東公園⇒大鷲(おおとり)神社⇒福寿院⇒正覚院⇒東善寺⇒実性寺⇒花畑公園⇒花畑記念庭園⇒西光寺(通過のみ)⇒元渕江公園⇒(路線バス)⇒北千住駅(ゴール)のコースを歩きました。足立区花畑地区の寺社と公園を巡るコースで、距離は約8㎞。
不動院は山号を江亀山、寺号を薬王寺とする真言宗豊山派寺院で、寺伝によれば天喜2年(1054年)源範僧都(そうず)開山とされています。不動院の4基の庚申塔は、江戸時代の地域の信仰や習俗を知る資料として、いずれも平成18年(2006年)に足立区登録有形民俗文化財に指定。浄土宗の寺院である長建寺は、寛永8年(1631年)遍蓮社周誉上人が牛込に創建、その後本所原庭へ移転、関東大震災まで本所にあったとのこと。関東大震災により被災、当地にあった正受院と合併し、当地へ移転。大鷲(おおとり)神社は、創建が古く、平安時代、新羅三郎義光が奥州の役に赴く途中、社前に先勝を祈願したと伝えられるゆかりのある神社です。福寿院は、真言宗豊山派の寺院で、山号を東海山といい、本尊は不動明王、安置仏として薬師如来、地蔵菩薩の諸像があります。正覚院も真言宗豊山派で山号を鷲王山、寺号を宝蔵寺といい、平安時代中頃の創建と伝えられ、江戸時代は大鷲神社の別当寺(専ら神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと)でした。時宗の東善寺は、花亦山西光院と号し、南北朝時代の14世紀中頃に、伊興の應現寺三世住職三阿弥陀仏上人が開山、江戸時代後期には新六阿弥陀二番札所として信仰を集めたといいます。実性寺は、浄土宗寺院で、創建は延徳元年(1489年)で開山上人は、芝・増上寺第五世となられた天譽了聞上人、開基は北条氏岩槻城斉田左ヱ門尉頼康公です。
参加者は、足立区花畑地区に、このように由緒ある寺社が数多く存在していることに驚いていました。当日は、雨天が予想されていましたが、幸いにもウォーク中には、(部分的に雨に降られる場面はあったものの、)おおむね雨を気にせずに歩くことができました。また、一般参加者の中には様々な出身、経歴の方がおられて、いろいろと興味深い話を聞かせて頂きながら、楽しくウォーキングすることができました。そして、最後は、元渕江公園から路線バスで北千住駅へゴールし、解散しました。


■クラブ行事報告:第186回例会「幕張新都心~稲毛海浜公園をあるく」
2019年6月9日(日)に、参加者19名(一般参加者1名を含む)で、JR京葉線・海浜幕張駅を出発。今回のウォークでは、美浜大橋を経由して、検見川の浜、三陽メディアフラワーミュージアム・千葉市花の美術館を訪れました。コース距離は約8㎞。当日は雨が心配されていましたが、幸い、ウォーク中は雨が降ることもなく、かえって涼しい風に吹かれながら快適に歩くことができました。また、久しぶりに1名新規入会の嬉しいニュースもありました。
検見川の浜は様々なマリンスポーツを楽しめるスポットとして知られており、ウォーク当日も、多くの人々がウィンドサーフィンやサーフボードを楽しんでいる様子を見ることができました。千葉市花の美術館は、温室棟、展示棟、休憩棟と、屋外の前庭、中庭、後庭などで構成され、あわせて約1,600種、48,000株の植物が植栽されています。温室には、熱帯、亜熱帯植物が育ち、展示棟では、室内花壇の他に、花をめぐる多彩な活動が行われており、ウォーク当日も京葉洋ラン同好会による「夏の洋ラン展」が行われていました。また、屋外のローズガーデンでは、ローズフェアが行われており、ウォーク当日はローズフェアの最終日でしたが、美しいバラの花を観賞することができました。
その後、海浜公園通りを歩いて、稲毛海岸駅にゴールし、解散しました。
今回は、1989年(平成元年)に幕張メッセが誕生して以来急速に発展を遂げ、今や内外からの人々で賑わう街となった、“日本版ポートランド”(ポートランドはアメリカ(オレゴン州)で人気の街です)とも呼ばれる「幕張新都心」の魅力にふれることができるウォークとなりました。


■2019年5月25日「木曽路は山の中」全国交流ウォークin中山道
参加報告:「2019年度全国交流ウォークin中山道『木曽路は山の中である』」


2019年5月25日(土)~5月26日(日)に、2019年度全国交流ウォークが開催され、全国のウォーキングクラブから227名の仲間が中山道(馬籠宿~妻籠宿)に集まりました。初日の5月25日は岐阜県恵那市のホテルで前夜祭が盛大に催され、開会の挨拶の後、乾杯と懇親会が進んだところで、各クラブの紹介が行われ、当クラブからは青嶋会長が東京ウォーキングクラブの活動について紹介しました。

翌日の5月26日は、中山道の馬籠宿から妻籠宿までのウォークを行いました。中山道は江戸時代の五街道の一つでしたが、山深い木曽地方を通ることから木曽街道とも呼ばれていました。

今回のウォークのスタート地点となった馬籠宿は、石畳の坂道に沿って江戸時代の街並みが保存されている宿場町です。標高約600mと比較的高い場所に位置し、眼下に中津川の街並みを望むことができ、また日本百名山の一座、恵那山も間近に見ることができます。馬籠宿の街道は山の尾根に沿った急斜面を通っており、その両側に石垣を築いては屋敷を造っていることから「坂のある宿場」が特徴となっています。

当日は晴天で、気温も高かったのですが、高地の鬱蒼とした林の中のウォークだったため、さほど暑さを感じることなく快適に歩くことができました。また、妻籠宿までの道中では、多くの外国人ウォーカーの姿を見かけ、木曽街道が外国の方々にも人気が高いことを実感しました。

一方、今回のウォークのゴールとなった妻籠宿には、かつて本陣が1軒、脇本陣が1軒、そして旅籠(はたご)と呼ばれる一般人が宿泊および休憩を取った場所が31軒も整備されており、中山道の大きな宿場町の一つとして当時から有名な場所でした。昭和51年(1976年)、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるなど、全国でもいち早く古い街並みの保存に取り組んできたため、復元された本陣と国の重要文化財にも指定されている脇本陣を初め、江戸時代からの街並みが残っており、今回のウォークでも、数多くの風情ある建物を見ることができました。妻籠宿にゴールし、全国交流ウォークを終えた後、用意して頂いたお弁当で昼食休憩を取りました。

今年の全国交流ウォークには、当クラブから、一般参加者(スポーツ連盟の他種目所属者)を含めて22名が参加し、全国の仲間との交流を通じて、大変に有意義な時間を過ごすことができました。なお、全国交流ウォーク自体は2日間でしたが、5月26日は長野県飯田市内のホテルに延泊し、翌日の5月27日は、当クラブの参加者全員で、「日本のチロル」と呼ばれている、長野県飯田市上村の「下栗の里」(平成21年(2009年)には「にほんの里100選」に選ばれたほか、スタジオジブリがアニメ制作にあたり下栗を取材するなど、様々なメディアを通じて、「下栗の里」は全国的にもその名を知られるようになってきています)、および昭和7年(1932年)に建築された、長野県飯田市南信濃木沢の「旧木沢小学校」を訪れました。

今回の全国交流ウォークの開催準備、運営のために多大なご尽力を頂いた関係各位、特に東海ブロックの各ウォーキングクラブの皆様に対して、厚く御礼申し上げます。